透明人間になりたい

童話

 (このまま、どこか遠くの町にでも行ってしまいたい。もう、家には帰りたくな
い。)
 のぞみは、家路に向かう電車で学生かばんを膝に置いたまま、ぼんやり窓の外を
眺めていた。降りるべき駅がとっくに過ぎても電車に揺られていた。
 (私のことを誰も知らない町・・・。いっそのこと、透明人間になれたら・・・。
誰にも私の姿が見えなければいいのに・・・。)
 なにげなく眺めていた景色の空は、オレンジ色から淡い紺色に変わっていた。
 のぞみは、突然すっと席を立つと、名前も知らない駅で降りた。自分のことを知
らない町ならどこでもよかった。駅の改札を出たのぞみは、あてもなく歩いた。シ
ャッターを下した店が多かった。下ろされたシャッターに書かれている店名の文字
がところどころ、かすれている。休日でも人が寄りつかない雰囲気が感じられた。
 しばらく歩いていると、ぽつんとあかりの灯っているお店に目がとまった。お店
の看板には、「骨董屋」と書かれていた。
 窓越しに店の中をのぞくと、色とりどりに塗られた大きなお皿や、とても古そう
な掛け軸、豪華な額縁で飾られた絵画、のぞみの身長の半分くらいの背丈の壺など
が所狭しと置かれていた。
 のぞみは、無性に店の中に入りたくなってドアを開けると、

「カラン、カラン。」
 と、くぐもった鐘の音がした。店の中に入るとお香のかおりが漂っていて、異空
間にいるような感覚を覚えた。
(お店の人はどこにいるんだろう?)
 あたりを見回すと、店の主人らしき、おじいさんがカウンターで、うたた寝をし
ているのが見えた。
 店の中を歩いていくと、一番奥の壁に小物ばかりが飾られている棚があった。金
色に縁どられた小皿、貝をモチーフにした小物入れ、つるつるとした紫色の石・・
・。見ているだけで、とても幸せな気持ちになった。
 そんな小物たちの中に、一段と目を引く一品を見つけた。それは、地中海の海を
想わせるような濃紺色のガラス製の香水ビンだった。香水ビンは、ビーズで装飾さ
れてキラキラと光を放っていた。のぞみは、思わず香水ビンを手に取り、照明のあ
かりにかざしたり、いろんな方向から眺めてみた。
 (うわぁ、きれ~い!香水かぁ。どんな香りがするんだろう?)
 好奇心が止まらないのぞみが、きらきらとしたまなざしで香水ビンを見ていると、
 「コツッ、コツッ、コツッ。」
 と誰かが近づいてくる足音がした。さっきまで、うたた寝をしていたおじいさん
が杖をつきながら歩いてきた。
 「お嬢ちゃん、そいつはとっておきの品じゃよ。どんな願いでもかなえてくれる
んじゃ。」
 と言って、おじいさんは、優しく微笑んでいた。
 「なんでも願いをかなえてくれるって、ほんとうですか?」
 「試してみるかい?」
 おじいさんは、にっこりしながら言った。
 「あ、でも今日はお金持ってなくて・・・。」
 のぞみは、なんでも願いをかなえてくれると言われたことと、気になるけれども、
とても高価なもので、おこづかいで買えるものではないだろうと途方に暮れる気持
持ちが入り交じり、言葉をなくした。
 「そいつは、売り物じゃないんじゃ。持っていくといい。」
 そう言うと、おじいさんはのぞみの手に香水ビンを握らせた。
 「ほんとに、いいんですか?」
 戸惑っているのぞみに、おじいさんはにっこりしたまま、
 「うん、うん。」
 という感じで、首をたてに振っていた。のぞみは、
 「ありがとうございます。」
と、お礼を言ったあとに深々とおじぎをして店を出た。
 もうすっかり、辺りは真っ暗になっていた。のぞみは、この店に来るまでは、夜
の闇のように暗い気持ちだったが、今はぽかぽかとした陽だまりにいるような明る
くて安らかな気持ちに変わっていた。
 (こんなに遅くなっちゃって、お母さん怒っているだろうな。)
 「ただいま。」
 少し、押し殺すような声で言った。
 「パタパタパタ・・・。」
 スリッパの追い立てるような足音のあとに、
 「何してたの?こんな時間まで。」
 予想通り、お母さんはすっごい怖い顔で怒っていた。
 「ごめんなさい。ちょっと、本屋さんで参考書選ぶのに時間かかっちゃて・・・。」
 のぞみは、思わず嘘をついた。家に帰りたくなく、さまよっていたとは言えなか
った。
 「ダメでしょ。帰りが遅いことをどれだけ心配したと思っているの?」
 勢いがおさまらないお母さんに、
 「もう、いいじゃないか、のぞみも反省していると思うよ。」
 と、お父さんが助け舟を出してくれた。お父さんは、昔からずっと優しい。つい
つい、怒りすぎるお母さんを、いつも止めてくれる。
 お母さんは渋々、
 「早く、ご飯食べちゃいなさい。」
 と言って、望みを台所に誘導した。
 「おかわり!」
 「あら、めずらしいわね。」
 「今日は、ご飯がとってもおいしいんだ。」
 (どのくらいぶりだろう、おかわりするのなんて・・・。)
 のぞみ自身が驚いていた。
 部屋に戻ったのぞみは、さっそく学生かばんから、香水ビンを取り出した。しば
らく香水ビンを眺めてから、金色のキャップをはずした。
 (願いごとを念じないとね。願いごとは…透明人間になりたい!)
 目をつぶって深呼吸をして、おそるおそる頭のてっぺんから、
 「シュッ。」
 と、ひと吹きした。
 目を開けて、自分の体を見てみた。が、何も変化はなかった。
 「なんだ、そうだよね。透明人間になんてなれないよね。」
 のぞみは、ちょっとがっかりしながらも安心していた。
 「宿題やっておこうかな。」
 あまり、やる気はしなかったが、先生に怒られるのも嫌なので仕方なく、宿題の
準備にとりかかった。宿題が終わる頃になると階段下から、
 「のぞみー、早くお風呂入っちゃいなさい。」
 と、母親の声が聞こえた。のぞみは、お風呂に入る準備をして階段を下りた。洗
面所の前を通り過ぎる時に、なにげなく鏡を見た。が、何も映っていない。のぞみ
は自分の目を疑った。
 「えっ!どういうこと⁈」
どうなっているのか?何が起きているのかわからなかった。
 (ほんとに透明人間になっちゃたの?えっ!ま・さ・か・・・。)
 「きゃぁっー!」
 のぞみは、あまりの驚きに家中に響き渡るような大声を出した。その声に驚いた
 「どうしたのよ!!」
 という母親の声が聞こえた。
 動揺しながらも、この現状を母親に見られてはいけないとのぞみは慌てて服のま
ま浴槽に飛び込んだ。
 「ドボン!」
 という大きな音がした。
 「のぞみ!大丈夫?」
 母親が風呂場の扉を開けようとした。
 「開けないで!」
 とのぞみは必死で叫んだ。
 「足が滑って、浴槽に落ちちゃったの。でも、大丈夫だから。」
 「本当に大丈夫なの?もーう、心配させないでよね。」
 もう少しのところで、扉は開けられずに済んだがこの先どうしたものか、再び途
方に暮れた。
 (いつまで、この状態なんだろう。もし、明日になってもこのままだったら、ど
うしよう。これじゃ、学校にも行けないし、学校に行っても私が教室にいることも
わかってもらえない・・・。)
 のぞみが心配したとおり、次の日になっても透明人間のままだった。のぞみは、
ベッドから出ずに、頭からすっぽりと布団を被っていた。
 学校に行く時間になってものぞみが起きてこないので、母親が心配して
 「のぞみー、いつまで寝ているのよ。早く起きて仕度しなさい。学校に遅刻する
わよ。」
 のぞみは、階段の上から下の階にいる母親に向けて大きな声で言った。
 「今日は、体調が悪いから休むって学校に連絡しといてー。」
 「風邪?昨日はお夕飯のおかわりもしたし、元気そうだったじゃない・・・。」
 ひとりごとを言って母は首をかしげた。台所のキャビネットの引き出しを開けて、
体温計を取り出した。
 「のぞみー、熱はあるの?今体温計持って行くから。」
 母の階段を上ってくる足音が聞こえた。
 (まずい。ごまかさないと。)
 「今、着替えてるからドアは開けないでよ。」
 のぞみは母を部屋に入れないように大きな声で言った。
 「じゃあ、部屋の前に置いておくから測ったら下りてきなさいね。」
 「わかった、測ったら下りるから。」
 母は階段を下りて行った。だが、しばらくしてものぞみは下りて来なかった。
しびれを切らした母が、再び階段を上がってくる足音が聞こえた。
 「のぞみー、いつまで待たせるのよ。熱は測ったの?」
 もう母を制止することはできない。のぞみは慌てて布団をかぶった。
 「なんでまた寝てるのよ。もうー、この子は!」
 母は勢いよく布団をはぎ取った。
 「あら⁉のぞみがいない・・・。」
 母は部屋中を見回したが、のぞみはどこにもいなかった。
のぞみは、ベッドからすばやく降りてそうっと部屋を出てトイレに入った。
 (あぶなかったぁ。どうなるかと思った。)
 それから、トイレの中から母のいるほうへ向かって大きな声で、
 「お母さーん、さっきからお腹が痛くてトイレから出られないんだよ。うー
ん、お腹痛ーい・・・。」
 「なんだ、のぞみったらトイレにいたの?部屋にいないと思ったら・・・。
お腹痛いって、やっぱり風邪かしらねぇ。」
 母はブツブツとつぶやきながら、トイレの前でのぞみに声をかけた。
 「仕方ないわね。学校に休むって連絡してくるわ。病院にも連絡して予約取らな
いと・・・。」
 母が電話をするために階段を下りようとしたので、
 「あ、でもこのぐらいなら病院に行かなくても大丈夫だと思うんだ・・・。」
 病院に行ったら、仮病がバレてしまうのでなんとしても阻止しなければならなか
った。
 「最近、仕事が忙しいって言ってたじゃない?」
 「ま、そうだけど。でもねぇ・・・。」
 戸惑っている母に、
 「熱はなかったし、温まって寝てるから大丈夫。お仕事に行っていいよ。」
 「ほんとに大丈夫なの?心配だわ・・・。」
 「だいぶお腹が痛いのがおさまってきたから、大丈夫そう。」
 「それなら、できるだけ早く帰ってくるわね。」
 なんとか、母を仕事に行くように仕向けることができた。
 「パタン」
 母が家を出たのを確認すると、のぞみも出かける仕度を始めた。
 (お母さん、ごめんなさい。)
 のぞみは罪悪感を感じながらも、今はこうするしかなかった。
 (早く、骨董屋さんに行かなくちゃ!)

 (カランカラン。)
 骨董屋のドア鐘鐘が鳴った。
 「昨日のお嬢ちゃんだね?」
 おじいさんのしわがれた声が聞こえた。何も見えないはずの、のぞみが店に来たこ
とがおじいさんにはわかるらしかった。
 「あのぅ、私が来たことがなぜわかるんですか?姿の見えない私が怖くないですか
?」
 「色々聞きたいことがあるじゃろうなぁ。」
 目の前の不思議な光景に驚きもせずに話をするおじいさんに質問を続けた。
 「おじいさんは一体、何者なんですか?」
 「色々と驚かせてしもうて申し訳ないことをしたのう。わしは、未来から来た化学
者じゃよ。」
 「科学者?未来から来た?・・・。」
 「わしの仕事はな、困っている子どもたちの運命を変えることなんじゃよ。子ども
たちに明るい未来が訪れるようにと願っておるのじゃ。」
 「あの、おじいさんは私を未来から助けに来てくれたんですか?」
 「ああ、そうじゃよ。お嬢ちゃん、未来は変えられるんじゃよ。自分の力を信じて
運命を変えるのじゃ。」
 「私、ずっと前から透明人間になりたいって思っていました。私、ひとりも友達が
いないんです。学校に行ってもつまらなくて・・・。いつも一人で過ごしていました。
私がいてもいなくても誰も困らない。何も変わらない。それならいっそのこと、誰か
らも見えなくなればいいって思うようになって・・・。でも、ほんとに透明人間にな
ったら、怖くなって・・・。」
 「願がかなったのはいいが、途方に暮れてしまったんじゃな。びっくりさせてしも
うて悪いことをしたのう。」
 「あの、不思議な香水を作ったのはわしじゃ。なんでも願いがかなう。」
 「私、もうずっとこのままもとには戻れないんでしょうか?」
 いつしか、のぞみは涙声になっていた。
 「実はこの店は、お嬢ちゃんに会うために用意したものでのう。明日には消えてし
まうんじゃ。」
 「信じられない。そんなこと、出来るんですか?」
 「未来では、お嬢ちゃんの想像もつかないことができるようになっているんじゃよ。
生きるということは、時に苦しいことかもしれん。じゃが、みんな自分で乗り越える
力を持っておる。(幸せになりたい!)と、思う気持ちが大切なんじゃ。お嬢ちゃん
が願ったことは、本当の願いごとではなかったようじゃな。もとに戻るのも簡単なこ
とじゃよ。もう一度、心に強く念じるのじゃ。心から強く望めば願いはかなう。(こ
んなふうになりたいと!)と、強く願うのじゃ。」
 (こんなふうになりたいって、強く念じる・・・。もとの体に戻りたい。そして、
いろんな話ができて、一緒にいると楽しいと思える友達がほしい。そんな友達と、ず
っと一緒にいたい!)
 のぞみが強く心に念じたその時、のぞみの体が色づきはじめた。うっすらと、透け
たような肌色から段々と濃い色に変わって、みるみるうちにもとどおりの体に戻った。
 「あっ、戻った。私の体が・・・戻れた。よかった・・・。」
 あまりの嬉しさに、のぞみの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
 「おじいさん、ありがとう。おじいさんは、悩んでいた私にどうすればいいのかを
教えに来てくれたのね。」
 「答えが見つかって、よかったのう。」
 (明日、学校に行こう!)
 のぞみは、義務感ではなく自分の意志で学校に行きたいと思った。おじいさんに何
度もお礼を言って、店を出た。
 次の朝、のぞみは学校の昇降口で最初に会った女の子に声をかけた。
 「おはよう。」
 と、挨拶してみた。同じクラスメイトではあるが、今まで一度たりとも話したこと
はなかった。異常なほどの、のぞみの人見知りが原因だった。
 挨拶された女の子は、何のためらいもなく、
 「おはよう。」
 と、返してくれた。しかも、とびっきり笑顔のつきだった。
 授業開始のベルが鳴り、すぐに担任の先生が教室に入ってきた。
 「はい、今日は席替えをします。今から配る紙に、同じ班になりたい人の名前を書
いて提出してください。」
 ひとりの友達もいないのぞみは、誰の名前を書くかを迷うことはなかった。
 次の日の朝、教室に入ると黒板に新しい座席表が貼られていた。今日も、授業開始
のベルが鳴り、すぐに先生が教室に入ってきた。
 「それでは、この座席表のように席を移動してください。」
 みんな、一斉に机を動かした。その時、のぞみの机から、一冊の本が床に落ちた。
 「これ、落ちたよ。」
 拾ってくれたのは、昨日の朝、昇降口で挨拶してくれたあの子だった。のぞみの席
の隣に机を置いた。
 「さっきの本、おもしろそうだね。今度貸してくれる?」
 「いいよ。」
 中学生になって、半年近くにもなるのに、いまだに中学校生活に馴染めなかったの
ぞみだったが、学校にいることが苦痛に感じない瞬間だった。
 (学校って、楽しいかも・・・。)
 って、初めて思えた。
 その日の夕方、のぞみは学校から帰ると、急いで自分の部屋に行った。机の引き出
しにしまっておいた不思議な香水ビンを探した。
 (あれっ?ここにしまったはずなのに・・・。)
 香水ビンは、なくなっていた。
 (『明日には、この店は消えてしまう。』)
 骨董屋のおじいさんの言葉を思い出した。
 「消えちゃったんだ・・・。」

 授業開始のベルが鳴り、すぐに担任の先生が教室に入ってきた。
 「みなさん、今日は授業内容を少し変更します。今から将来の夢について作文を書
いてください。」
 突然の授業内容変更と聞いた生徒たちは、
 「なんで?」
 「今から?」
 と、不満そうだった。
 「ごめんね。先週みんなに伝えるの、忘れちゃったのよね。」
 と、舌を出しておどけた顔をした先生にみんなは、「わはは。」と一斉に笑った。
 教室中に、(しかたないな。)という雰囲気が広がった。そのうちに、カリカリと
鉛筆で文字を書く音があちらこちらで聞こえてきた。
 のぞみは迷うことなく、すらすらと書きだした。
 (私は将来、科学者になって困っている人を助けられるような発明をしたいです。)

                               おしまい


 

 
 

 

 



 


 




  
 


 


 

 
 
 

 


 
 






 

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